学校に行っていると、何かとトラブルはつきものです。これは、考えたら当たり前のことです。しかし、保護者の方は、往々にしてそれを忘れがちです。我が子の今しか見れないからでしょうか。最近では、働く保護者の方が多いせいか、祖父母にその特徴が見られる場合もあります。
学校の閉塞感が合わずに、社会に出ると自由になり、学校よりも楽になる子もいるのも事実かと思います。
しかし、逆に言えば、学校は限られた中で守られています。小さなコミュニティです。
だめなことはだめと言ってもらえます。特に、学年が低いとその規則が守られやすいです。大きな課題を学校や学年、個々(家庭も含め)が抱えていない限り、そのコミュニティは安全区域とも言えるかもしれません。
そのような中であっても、過剰に反応してしまう方も一定数おられます。これは、学校の様子、我が子の様子を見ていないからということもありますが、「何かしらのトラブルはある」ということがぬけているからです。
この安全区域の中でのトラブルこそ、課題解決の練習になるはずです。その力を付けるべき学校であるのですが、お家の方、近親者が感情的に入ってくると、台無しにしてしまうのです。
トラブルの本質は何かを見失うと、
・今は守られても後々大きなトラブルへとつながる
・今の課題解決に逆効果
ということを招きます。
※いじめられる子が悪い、何かしら問題があるからだと言っているのでは決してありません。
何にせよ、その子の人権が守られるのは当然です。今回はいじめの話ではありません。あくまでも、トラブルの話です。
トラブル時の対応の誤り
・子どもの話しか耳に入らない
・妄想にかられて事実のように思いこむ
・子どもの学校の様子を受けとめない
・我が子に対する思い込みがある
・客観的に見れていない
・意見を正当化させようとする(「他の子も」「他の保護者も」など他を出すなど)
このような場合は、何を言っても無理です。このような場合は、
・激昂
・高圧的
・先生の言葉狩り
・時間問わず拘束する
などがついてきます。
そのように、保護者、祖父母などが出てくるとどうなるか。「当たらず障らずの対応をしておく」となります。そして子どもには、腫れ物に触るようにとまでは言いませんが、「当たらず障らず」的な距離感になります。
課題解決に向けて動きますが、それは、こちらの意図する方向ではなく、その子にみんなが「当たらず障らず」になるようにしていきます。
とにかく、その件に関して、何もことご起こらぬようにするに徹するのみです。
対応を誤ると起こること
対応を誤ると、例えば次のようなことになり得ます。
①大きくなるとみんながそれとなく離れる
とりあえずの解決にいたらすので、低学年の時は気分よくしていても、大きくなるにつれて、それとなく感じるものがあり、当たらず障らずの関係を子どもでもとっていきます。陰で言われたり、距離をおきます。
そこに気づかない子は、関わりを持ち続け、トラブルを招いてくるのです。大きくなって「うちの子ばっかり」と言うのは、こういうところにもよく見れます。
②違うトラブルが起こる
根本的な解決をはかろうとするのではなく、保護者や近親者の要求に対応した解決策をとるので、そのもの自体は解決されても、次から次にトラブルが出てきます。
また、こういうことが一つあると、トラブルを大きくしていくという要素が強い方が多いので、もぐら叩き状態に陥ります。もはや、トラブルを探している状態ですね。
「何かなかった?」「今日は何かされなかった?」が、帰宅後の会話の中心となるのでしょう。
③解決しきれずに担任が追い込まれる
「我が子にトラブル相手を近づけるな」
と申し出る方も結構の割合でいます。そんなことは一緒のクラスである限り不可能です。そして、実際は、その子自ら近づいていることもあるのです。解決する手段を誤っているので、トラブルが続くのは当然です。
解決されない→そのことに頭を抱える、その対応に気を張る、時間をとる→他のことに手がまわらなくなる→他のトラブルも出てくる→その保護者だけでなく他の保護者から不満が出る
こうなると悪循環です。先生が追い込まれて休むと、すぐに担任も見つからず、見つかるまで、他の先生が入れ替わり立ち替わりということも多いです。こうなると、クラスは不安定になります。学年も手がとられ揺らぎます。
トラブル時の対応
①冷静になる
子どもではありませんので、冷静に判断しましょう。ここが、一番難しく、そして一番肝心な部分です。これができないと、解決に向かいません。
トラブルを解決するのではなく、保護者や近親者の思いを落ち着ける策になるのです。それを望んでいるわけではないのならば、冷静に、建設的になった方が、1番の近道なのです。
・子どもから話を聞く時には客観的に
事実を聞くことに徹する→そのあとに気持ちを聞く
この、事実を的確に捉えることが難しいのです。なぜなら、気持ちが先走るからです。子どもも、そして、一番は保護者の方がです。ですので、まずは、一つずつ事実を確認することが大事です。そして、その事実は、我が子目線であることも理解しておく必要があります。
・我が子もクラスの一員であることを考える
先生に言おうとしていることは自分勝手になっていないか、それは現実的に可能かを考えます。「要求するだけ」「言い放つだけ」はできますし、先生も聞いてくれるでしょう。しかし、客観的に見ると、結局子どものためになっていないと思うことも大いにあるのです。
・聞き入りすぎない
子どもから話を聞いていると、どうしても、心配が先立ち、感情が入ってきてしまいます。それは当たり前ことです。ですので、根掘り葉掘り深掘りせず、あとは、先生に相談して、先生から話を聞いてもらおうというくらいの方がよいです。
もちろん、相手がいる場合には、相手の話も聞いて、総合的に見ていく視点が必要です。
・うちの子がこう言っている!
・もう近づかなと言っている!近づかさせるな!
・相手から聞く必要はない!
・相手に話をして、余計にひどくなったら困る
など言っていては、事実は闇の状態なのです。それでは、結局本質を見ずに、見て見ぬふりをしています。
・事実の確認ができたら、先生に相談という形をとる
一方的に思いを伝えると感情的になります。先生から子どもに話を聞いてもらったり、学校での様子、先生の判断を伺ったりしましょう。どうしても主観的になりがちなところを、客観的に見ている人に、我が子の他人からの見え方を教わるつもりで聞きます。
②長い目で考える
先生にどうしていきたいかという思いも伝えたらよいです。先生は敵ではありません。ただ、客観的に見ているので、相談した時に、他人事に捉えられているように思えてしまうのかもしれません。この、「客観的に見ている」というのは、
・根本的な問題
・クラスとして、個人として
・長期で見るとどうか
・何が今必要か
といったことです。
クラスでの様子や今までの経験から考えています。
学校、学級もそうですが、社会には色々な人がいます。うまくトラブルに対処していく力をつけさせることも大事です。
感情に任せて、一方的な要求、苦情として終わらせるより、よっぽどよいです。建設的な話となるよう、
・発達検査で我が子の困難さを探るのは?
・家でどのようなことができる?
などを相談していと、先生もどんどん前向きに見てくれるでしょう。
なぜなら、お互いタッグを組んでいる状態ですから、「当たらず障らず」「とりあえず、事なきを得る」という風には終わらせないからです。
何が目的かをよく考えることをおすすめします。子どもの成長を考えるのであれば、保護者の方、近親者がどのような対応をとるかを考え、先生をぜひ、心強い味方にしてください。